![]() 私たちは、さまざまな障害を持った利用者が個人の尊厳を保持しつつ、心身ともに健やかに育成され、その有する能力に応じ自立した日常生活が地域社会において営むことができるように、医療や多様な福祉サービスを用いて利用者とその家族を支援します。 |
![]() 作成者は、工業デザイナーの、堀内美貞氏です。このマークの意味は、障害をもった子供が、リハビリテーションをする事により、両手が上がるようになった事を象徴し、その喜びを表しています。全体の形は、当時千曲市で栽培が盛んだった、チューリップの花を型取っています。 |
80床
医療型障害児入所、医療型児童発達支援センター、療養介護、生活介護、短期入所、障害児相談支援、計画相談支援
整形外科、リハビリテーション科、内科、小児科、精神科(児童)、歯科
昭和30年 5月 | 県下で初めての肢体不自由児施設として、諏訪市に私立信濃整肢療護院開設。(定員30人、院長 井上雅夫) |
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昭和32年 6月 | 下諏訪町高木地籍に移転。設置主体が財団法人信濃福祉事業会となり、信濃整肢療護園と改称。(定員60人) |
昭和35年12月 | 社会福祉法人信濃福祉事業会の設立認可を受ける。 |
昭和39年 7月 | 更埴市(現千曲市)に信濃整肢療護園分園 稲荷山療育園が開園。(定員50人) |
昭和40年 6月 | 信濃整肢療護園分園 稲荷山療育園にて通所施設開始。(定員40人) |
昭和45年 11月 | 法人名称を社会福祉法人信濃整肢療護園に変更。 |
昭和46年 1月 | 信濃整肢療護園分園稲荷山療育園から独立し、稲荷山療育園として発足。 |
昭和46年 12月 | 稲荷山療育園は順次増床し、定員69名となる。 |
昭和50年 4月 | 更埴市(現千曲市)に身体障害者療護施設稲荷山太陽の園が開園。(定員50人) |
昭和56年 4月 | 信濃整肢療護園が下諏訪町社字花田へ新築移転。施設名称を信濃医療福祉センターに変更。 |
昭和62年 11日 | 稲荷山療育園が全面改装。施設名称を稲荷山医療福祉センタ-に変更。 肢体不自由児入所施設(定員70人) 肢体不自由児通所施設(定員40人) |
平成12年 1月 | 稲荷山医療福祉センターにて、重症心身障害児(者)通園事業A型の委託を受ける。 |
平成17年 4月 | 信濃医療福祉センターは社会福祉法人信濃医療福祉センター、太陽の園は社会福祉法人大志会と、それぞれの設置主体が変更となる。 |
平成17年 10月 | 重症心身障害児施設を併設する。 |
平成24年 4月 | 児童福祉法の改正により、下記の事業として運営を開始する。 医療型障害児入所施設、療養介護、短期入所、 医療型児童発達支援センタ-、生活介護 計画相談支援、障害児相談支援 |
令和4年 6月 | 医療型障害児入所施設75名(内療養介護45名)に定員を変更する。 |